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大精神力は伝持されるものなのか

以下のヲチスレのログを見ていたら仏教用語の勉強になりました。

http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1247844811/
【アフィ乞食】新風連と新風をヲチ51【ユーチュー部】

瀬戸氏のブログに「大精神力の伝持」という聞き慣れない言葉があったので、これは何?という話題になったのですね。

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52290434.html
2009年07月18日 日本民族としての「血」

私の血という意味は科学的に立証されるものではない。日本民族に流れている血と表現した時に、その血とは単なる身体の中に流れる生物学上の血などではない。

 これは日本民族としての大精神力の伝持(でんじ)なのです。すなわち私が言うところの血には日本民族の精神が受け継がれていなくてはならない。朝鮮民族の血などあるわけがない。

Wikiを作っておられる方がいて、「伝持」とは仏教用語らしいと分かります。文字の通り、「伝えて保持する」という意味のようです。

http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%C5%C1%BB%FD
つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉

伝持
【定義】伝えたもつこと。
いま仏道に六神通あり、諸仏の伝持しきたれることひさし。一仏も伝持せざるなし、伝持せざれば諸仏にあらず。 『正法眼蔵』「神通」巻

更に、ヲチスレで指摘のあった「紙墨もて伝持す」というページを見てみると、「法華玄義」に出てくる「伝持」についての解釈が載っていました。「法華玄義」というのは、天台宗の三大聖典の一つ(他2つは「法華文句」、「摩訶止観」)で、「法華経」の注釈書として最も広く読み継がれてきたものらしいです。この解釈によると、法華経では教義を言葉によって伝える事が重視されており、紙墨をもって言語化したものを伝えるのが「伝持」の元の意味だったのです。

★からぐらの風 #0046 --------------------------------------2008/02/14
----☆「紙墨もて伝持す」☆--------------------------------------------

 前45号のつづき。「耳根得道」など、現代に説得力を持つとは思わないが、この発想のもとになったと思われる考え方は『法華玄義』に記されている。さっそく、読者からご教示があった。読者のなかには素晴らしい学究がたくさんおられるので、大変心強く思っている。
 この『法華玄義』の当該箇所のいわんとすることを、一言で言うならば、法は言葉によって伝えられるということではないだろうか。

--------------------------------------------------------------☆☆----

 娑婆世界は耳根によるという言い方は、他方世界では、香りを嗅いで(鼻根)悟ったり、柔らかな衣の感触(身根)で悟ったりする世界もあるが、この娑婆世界では声(耳根)や文字(眼根)によって、つまり言葉によって伝えられるとする話を、はしょってしまったところから来ている。

 法は変にはしょってしまうと誤解のもとになる。正確に伝えねばならない。また、他方世界(おとぎの世界)との比較など、現代では単なる饒舌に過ぎないだろう。
 初学の方には難解だと思うが、法華玄義の文を挙げる。
 「一に声を用いて経となす。仏の世に在りて金口もて演説するが如き、ただ声音の詮弁のみ有りて、聴く者は道を得る。故に声を以て経となす。大品に云く、善知識に従って聞く所なり。
 二に色を用いて経となす。若し仏、世に在らば、声を以て経となすべし。今、仏、世を去れば、紙墨もて伝持す。まさに色を用いて経となすべし。大品に云く経巻の中に従って聞くと。
 三に法を用いて経となす。内に自ら思惟し、心、法と合す。他の教に由らず、また紙墨に非ず。ただ心に暁悟すれば、即ち法を経となす。故に云く、我が法を脩する者は、証して乃ち自ら知ると、云云」(T33-p0776c)

以下も同じ文からの引用です。「不立文字、以心伝心」と対立する考え方なのですね。「普遍性のある論理により、言葉を重ねていきたい」とは、仕事を進める上でも大切で、常日頃から心がけておくべきことだと思います。いやぁ勉強になるなぁ。

不立文字、以心伝心を立てて、法は言葉では伝えられないとしたのが禅宗である。日蓮はそれを厳しく批判した。ここで禅宗と日蓮の優劣を論じる積もりはないが、日蓮義によりながら、根本義は言葉では伝えられないとしたり、特別な人の秘密の相伝に寄らねばならないとするのは理解に苦しむことである。

すくなくとも、ここでは仲間うち、身内でしか通じないドグマによるのではなく、普遍性のある論理により、言葉を重ねていきたいと思う。

さて、上記の解釈が正しいとすると瀬戸氏の文章にあった「大精神力の伝持」という表現は、元々の「伝持」の意図から離れた誤った使い方ではないでしょうか。例えば、新風の考え方を明文化して、その文章をしっかりと伝えて行くという文脈ならば納得できるのですが、「大精神力」という言葉に表せないものを「伝持」すると表現するのは原義に反すると思うのです。

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